川中島合戦をめぐる -妻女山(長野市&千曲市)-
1561年(永禄4年) 第4次川中島合戦がおきました。
「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会によると、
ここ妻女山に越後の上杉謙信は陣を設けたとのこと。
ここから川中島平は一望でき、海津城(松代城)の動静を伺い知ることができたと言います。
その年の9月9日、海津城からもくもくと立ち上る煙を見た謙信は、武田方の戦いの準備を察して、その夜、山を下り千曲川や犀川を渡って八幡原の信玄の本陣を目指しました。
その様子をのちに頼山陽(江戸時代の儒学者)が「鞭声粛々、夜河を渡る・・・(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる・・・)」と詠んでいて、この近くには「雨の宮の渡し」の跡が残っています。
そして、この妻女山の展望台への登り口には「槍突き(尻)の泉」があり、ここは謙信が槍の石突きで突いたところ、水が湧き出たという伝説があり石碑が建っています。
僕にとって、ここは非常に思い入れが強い場所です。
僕が川中島の戦いの本を始めて読んだのは20年以上前(広島に住んでいる時)でした。
ですが僕がこの場所を訪れたのは初めて長野を訪れてから10年ほど経っていました。
それでも、その時に本の中で描いた景色が目の前に広がる現実の景色と一致して、
今まで感じたことのない胸のざわつきみたいなものを感じました。
そして今回はここへ来る途中、イノシシの子供を見かけることができて、本当にラッキーでした。